35 北風
「奉行所では万事が少しく静かになったので、大通詞たちは一度彼らの家に帰る許しを得たが、通詞目付は私のもとに留まるよう命ぜられた。その時は十二時頃であった」
長崎商館日記に、ドゥーフはそう記している。8月16日の夜、拉致されていたオランダ人二人が奉行所に戻された。拉致以来続いていた緊張の中、ひとまずの安堵が広がった。
ドゥーフは朝から詰めていた部屋にとどまっていた。病身であり、少しでも休みたいと願ったが、神経の高ぶりと不安がそれを許さなかった。通詞目付伝之進とともに、そのまま起きて夜を過ごすことになった。
寝つけなかったのは、ドゥーフだけではなかった。図書頭とその配下にも、休む余裕はなかった。オランダ人が戻り、水船一艘分の補給も済んだ。だが、それはかえって新たな懸念を招いた。このまま異国船が出航してしまうのではないか、という懸念である。出航されてしまえば、不法入国船を処罰するという奉行の職務は果たせない。
異国船出現から既に30時間が過ぎていた。佐賀藩の警備は千人が定めのところ、実際には百人程度しか揃っていなかった。図書頭の周囲では、思い通りに動かないもどかしさが積み重なっていた。
そこへ、思わぬ知らせが届いた。風が北に変わったという。長崎港は南北に長く、鶴が首を伸ばした形をしている。異国船はその首の根元、港の南端に停泊していた。北風であれば、火を放っても市街に火の粉は及ばない。
図書頭は、異国船攻撃を決した。16日深更のことである。佐賀藩、福岡藩、大村藩、諫早藩、いずれの出動部隊もまだ長崎には到着していなかった。それでも、決行するほかなかった。
通航一覧はこの夜の様子をこう伝える。
「十六日夜、北風烈敷御座候に付、焼討十分之御都合申事にて、俄かに其御手当てにて御乗船之小早船も、大波戸に打廻り幕張相調、御手廻り之人数は勿論、市中御供之人數も追々打揃候」
北風が強く吹いていたため、焼き討ちの準備は十分整ったとして、急ぎ手当てがなされた。奉行乗船用の小早船が大波戸に回され、幔幕が張られた。手回りの人数はもちろん、市中からの供の者も次第に揃っていった。
小早船は、港内警備や連絡に使われる小型で喫水の浅い快速の和船である。この夜は屋形に白黒の幔幕が張られ、奉行の公用船であることを示した。
用部屋日記は、この準備の様子をさらに生々しく記す。
「一、唐方年番通詞呼出し、唐船不殘梅が崎へ引込候様に申渡す。一、手勢行軍行列書被成御渡、徳右衛門請取之、諸物頭へ相圖定置。一、奉行出陣に付、海陸備方、旗、長柄、鐘、太鼓、行列奉行差引、玄關より廣間へかけ明き間もなく並へ立る。一、勝手頭取左久へ、兵糧送り方申付る」
唐方の年番通詞が呼び出され、唐船をすべて梅ヶ崎へ引き入れるよう申し渡された。手勢の行軍・行列の書付が渡され、徳右衛門がこれを受け取り、各物頭に伝えた。奉行出陣にあたり、海陸の備え、旗、長柄、鐘、太鼓、行列の順序が定められ、玄関から広間にかけて隙間なく人が並んだ。勝手方の佐久には、兵糧の手配が命じられた。
こちらも短め、33・34章と同程度の分量です。心理描写は全貌本文にある推測(「自暴自棄な思い」等)を抑え、状況・行動・史料引用で図書頭の切迫を示す形にしています。