正午。フェートン号は、小瀬戸遠見番所の真西32キロの海上にあった。観測された位置は、北緯32度40分、東経129度30分。長崎の沖には、確かに達していた。
はるばるインド洋を越えてここまで来た目的は、ただ一つ。長崎に入るオランダ船を捕えることである。だがそのためには、まず肝心の長崎港そのものを、この目で見つけ出さねばならなかった。
ペリューは甲板に立ち、望遠鏡を東へ向けた。やがて、海岸線が視界に入ってくる。緑の陸地が低く長く連なり、山々が幾重にも重なって、その裾を海へと落としている。だが、どこにも港らしいものは見当たらなかった。
手元には、地図があった。前年、オランダ会社が傭船したマウント・ヴァーノン号に備えられていた、オランダ人の手書き海図の写しである。島々の形も港の形も、ペリューがのちにきわめて正確と評したほどに描き込まれていた。長崎港への進入路も記されている。伊王島の北を東へ抜け、樺島を見て、高鉾島の南を過ぎれば、港口に至る。そう教える地図であった。ストックデールは、その写図の上に、測深した海底の深さを一つひとつ書き入れていく。
この地図が、そもそも英国の軍艦の上にあること自体が、皮肉であった。マウント・ヴァーノン号は米国の船である。戦時下、自国の船をヨーロッパから日本へ通わせることが難しくなったオランダが、中立国の船を傭って長崎へ送り込んだ、その一隻であった。船長のダヴィッドソンは、傭船の契約を終えたのちインドへ向かい、日本の情報を集めていた英国海軍のもとで、この地図を手放している。売ったのか、洋上で押収されたのかは分からない。いずれにせよ、オランダが戦争を生き延びるために編み出した手立てそのものが、長崎への正確な道筋を、敵の手に渡していた。しかもこの船は前年の秋、長崎に停泊している。着任したばかりの松平図書頭が、その甲板に上がっていたとしても不思議はない時期であった。
航海士は、その紙片を幾度も海岸と見比べた。紙の上では、港はすぐそこにある。ところが、目の前の海をいくら見渡しても、その入口だけが、どうしても見当たらない。
港が、見えない。
長崎港は、もともと天然の要害である。港口は女神と神崎のあいだ、わずか500メートルしかない。しかもその外には、香焼島、伊王島、中之島が横一列に連なり、この狭い入口を完全に塞いでいる。外海から望めば、島影は本土の山の緑に溶け合い、どこまでが島で、どこからが陸なのか、まるで判然としない。目印となる人工の構造物は、何ひとつない。
緑が、ただ続いている。切れ目はない。港の入口は、その重なりの、さらに向こうに隠れていた。
測深の声が、間断なく甲板に響く。艦は緑の岸に沿って、ゆっくりと進んでいった。望遠鏡が島影を一つずつ丹念にたどっていく。どこかに、必ず切れ目があるはずだった。だが、いくら進んでも、緑は途切れない。
三ツ瀬と端島のあいだまで来たところで、ペリューは進路を真南に取った。前方に突き出したあの岬さえ回りきれば、その先に港が開けるはずである。地図の高鉾島は、あの岬にちがいない。そう信じての針路であった。
艦は、野母半島の南端を回った。
港は、なかった。
目の前に開けたのは、千々石の湾の、ただ広いばかりの海原である。岸は見る間に後ろへ遠ざかっていき、港の気配などどこにもない。遥か彼方に、島原半島の雲仙岳が一つ、ぽつりと聳えているばかりであった。
長崎港は、どこにもない。
甲板の空気が、にわかに変わった。地図が間違っているのか。それとも、いま見ているこの海岸そのものが、そもそも違うのか。航海士たちは、もう一度、地図を広げ直した。だが、紙の上の地形と目の前の海岸とは、もはや噛み合わない。さきほどまで対応していたはずの島影さえ、どれもこれも合わなくなっている。どの島が地図のどの島なのか。いまや一つとして、確かなものはなかった。
彼らの天測そのものは、正確であった。にもかかわらず、ペリューはのちの報告書に、緯度の正確性を疑ってしまったと書き残している。地図は正しく、天測も正しい。それでいて現実が合わないとき、人は、正しいもののほうを疑いはじめる。この日の彼らが陥っていたのは、そういう場所であった。
艦は、引き返した。来た航跡をそのままたどり、岬を廻って、再びあの島々の連なりへと戻っていく。望遠鏡が、一つ、また一つと、島影を根気よくたどり直す。航海士は、地図と海岸とを、もう一度、初めから照らし合わせはじめた。
そのときである。島影の一つに、何かがひらりと翻った。すかさず望遠鏡を向ける。布だった。風をはらんで、ゆっくりと揺れている。赤、白、青。
オランダ国旗だった。
掲げたのは、日本人である。伊王島の遠見番が、沖の帆影をオランダ船と見て、目印にと国旗を揚げたのであった。長崎港口を見つけ出す難しさを、島の遠見番は経験として知っていたのだろう。
半日を費やして解けなかった謎を、一枚の布が解いた。しかもそれを掲げたのは、この港を守るべき側の人間であった。
あれが、伊王島だ。
ペリューはそう悟った。旗が揚がったその一点によって、これまでばらばらだった島影が、地図の上で一つに繋がっていく。どうしても合わなかった島という島が、すべて、あるべき位置へと収まっていった。
それは、つい先ほど通り過ぎたばかりの海岸だった。ところが今度は、これまで見落としていた島が一つ、はっきりと目に入る。こんもりと盛り上がった、緑の島である。さきほどは背後の海岸線とちょうど重なって、ただの岬の一部にしか見えなかった。島と陸とのあいだに海が横たわっていることに、誰一人、気づいていなかったのである。望遠鏡を、その島へ据える。地図の島影と、ゆっくり重ね合わせた。
間違いない。高鉾島である。
艦は、その高鉾島の北の端へと近づいていく。ゆっくりと、回り込む。
切れ目が、あった。
緑の海岸線の奥に、細い水路がひっそりと口を開けていた。両岸から岩がせり迫り、その幅はわずかしかない。これを見落とすのも、無理はなかった。だが、その水は確かに奥へ奥へと続いている。そこはもう、海ではなかった。
長崎港の入口だった。
ストックデールは、のちに特別手記に、こう書き留めている。その入口は、非常な苦心の末に見付かった、と。
入口は、初めからそこにあった。ただ、島と岬と山とが、幾重にもそれを隠していたにすぎない。200年ものあいだ、この地形が、長崎を守ってきたのである。その守りが破られたのは、砲によってでも、力によってでもなかった。守る側が、みずから揚げた一枚の旗によってであった。
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