検使を務める菅谷保次郎と上川伝右衛門は、幕府が江戸から送り込んだ手附出役、与力六人のうちの筆頭格である。海へ出る前、二人は奉行松平図書頭から、いくつものことを申し渡されていた。何よりもまず、オランダ人を守ること。異変があれば、ただちに西泊・戸町の両御番所へ知らせ、港内への侵入を食い止めること。そして、オランダの委員を、決して検使より前へ出してはならぬこと。
三つのうち、二人が果たしたものは、ひとつもなかった。
弁護できる点が、まったくないわけではない。この日の二人は、午後2時に大波止から役船を出し、5キロも離れた小瀬戸まで下って、標高100メートルの遠見番所を上り下りし、そこからさらに高鉾島の1キロ半先、四郎ヶ島まで出て待機している。長崎港口の神崎と女神を過ぎれば、海の色は黒く変わり、うねりも大きくなる。その外海をなお3キロ以上も沖へ出て、強い風に揺られながら、船の上で待ち続けたのである。船酔いしていたとしても不思議はない。日が傾くころには、二人の判断力は、すでに鈍っていたであろう。
そこへ、小瀬戸の遠見番所で船頭が言った、オランダ船でしょばい、という一言がある。荒れる海上で待ちくたびれたあげく、三色旗をたなびかせた船影が現れ、通詞に確かめればオランダ旗に間違いありませんと言う。警戒心は、その瞬間に溶けてしまったのではないか。げんに二人は、自ら異国船と掛け合おうとせず、交渉をオランダ人に任せてしまっている。オランダの委員を先へ出すな、という奉行の言葉は、このとき二人の頭から、きれいに消えていた。
その油断の帰結が、あの襲撃であった。オランダ人は、ほかならぬ二人の目の前で、まんまと奪い去られたのである。
では、二人は何をすべきだったのか。
正気であれば、役船に備えつけの槍を掴み、オランダ委員の船へ飛び移って、襲撃者たちを突き伏せるべきであった。槍が手に取れぬのなら、腰の大刀を抜き、一人でも二人でも斬り捨てるべきであった。短銃で撃ち殺される羽目になったとしても、それが検使という役目である。それすら叶わぬのであれば、せめて相手の跡を追い、救出の手立てを尽くすべきであった。
だが、二人は何ひとつしなかった。
もっとも、できなかった事情も推し量れる。海上での作業であるから、腰の大小はおそらく柄袋に収められていたであろうし、槍持ちの槍も鞘袋に入っていたにちがいない。抜き身を握るまでには、幾呼吸かの間がいる。200年の太平は、その幾呼吸かを惜しむ習性を、武士から抜き取ってしまっていた。
二人は、見る間に色を失った。頼みの役船は、漕ぎ手が腰を抜かしてしまい、櫓も動かない。あたりでは船々が散り散りになり、海は、逃げ惑う小舟で乱れに乱れている。そこへ、たまたま曳舟の役に出ていた六人漕ぎの小舟が一艘、通りかかった。二人はこれを呼び止めると、すぐさま乗り移る。役船には、供回りが乗り、槍も備えられていた。その供も、その槍も置き去りにして、ただ二人だけで、である。
向かった先は、現場からおよそ4キロ離れた、港口の西泊御番所であった。長崎港の警備、いわゆる長崎御番は、佐賀と福岡の両藩が一年交代で務める。この年の当番は佐賀藩であり、戸町と西泊の両御番所に、合わせて千人の兵を置くことになっていた。その拠点の一つである。ほどなく着いた二人は、番頭への面会を求めた。
だが、その番頭は病で臥せっており、会うことができない。代わりに出てきた物頭の岩松源吾に向かって、二人は急きこんで告げた。異国船が現れ、旗合せに出たオランダ人二人が、奪い取られてしまった。その異国船はまだ錨を下ろしておらず、このまま港内へ乗り入れてくるやもしれぬ。だから一刻も早く、軍勢を手配せよ、と。
だが、千人がいるはずのその番所は、実は空に近かった。当番の佐賀藩が、定めの人数を置いていなかったのである。二人は、それに気づかなかった。空同然の拠点へ駆け込んで軍勢を出せと迫り、そのまま出ていったのだ。長崎の守りに底が抜けていることへ最初に触れたのは、この二人であった。奉行所がそれを知るのは、まだ数刻ののちのことである。
番所を出た二人には、もはや供の一人もいない。正規の船着場である大波止に上がることは、さすがに憚られた。供も槍も置き去りにしてきた二人きりの姿は、そこでは人目につきすぎる。二人は、奉行所の下手にあたる江戸町の上り場から上陸して、庁へと向かった。
この上陸地点の選択が、すべてを語っている。自分たちの振舞いが恥ずべきものであることを、二人は誰よりもよく承知していたのである。
思えば、あの襲撃のすぐ前、二人は沖から奉行所へ、一通の届書を送っていた。紅毛商船に相違無之、旗合も相濟候。まぎれもないオランダの商船であり、旗合せの確認も済んだ、という報告である。この届書は、事件のあと、二人の嘆願を容れた上條徳右衛門の手で、正式の文書からひそかに削除されることになる。部下の誤報を公式の記録から抜いてやる。この用人には、そういう情のかけ方ができた。
ペリュー艦長が襲撃を命じたのは、午後5時半のことであった。それから混乱の中を西泊御番所へ走り、江戸町に上がるまでに、ゆうに2時間以上が過ぎている。この日の日没は、18時2分。日は、とうに暮れていた。17時13分に東の空へ昇った満月が、夜の港をこうこうと明るく照らしている。供も連れず、江戸町の船着場から上がってくる二人の姿を、その月だけが、静かに照らしていた。
これから二人が出頭する相手は、ほかならぬ、海へ出る前に、何よりもまずオランダ人を守れと命じた、あの図書頭である。その図書頭に向かって、二人は報告しなければならなかった。オランダ人は、奪われた、と。
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