23 夜明け

その夜、ドゥーフは西役所にいた。夜が明けはじめると、彼は高鉾島脇に停泊する異国船を望見した。船旗はまだ判別できない。ただ、船の脇から数隻の小艇が降ろされ、水面に散っているのが見えるだけであった。
 しばらくして、異国船が旗を掲げたという知らせが入った。上條徳右衛門はドゥーフと年番大通詞中山作三郎を伴い、遠眼鏡を持って観察に出た。商館日記によれば午前八時三十分である。この時刻を記録したのはドゥーフのみで、事件のタイムラインを定める貴重な一点となっている。
 西役所の西側、出島を見下ろす側に近習長屋がある。その脇に立てば、高鉾島脇の異国船が正面に見えた。
 上條から渡された遠眼鏡を覗いたドゥーフは、声を上げた。マストに翻っていたのは、まごうことなき巨大なユニオンジャックであった。
 ドゥーフは見たものをそのまま報告した。それは用部屋日記に書きとめられている(通航一覧四一八p)。
『敵国エンゲレス二番之軍船フレガットと申船に而、賊船等には無之候、筆を取自ら印之繪圖を書候て差示し、船大さ長さ三十六間、舳先には羽翼を伸玉眼彩色怖しき鳥之形を付、五十挺之石火矢上の方より、夜中楯を引候處、一夜之内自塗之塀をかけ候様相見、筒毎火蓋を取黒装束陣笠着たるもの一人つつ火縄を振り、今にも可打出様子いかにも厳重、稻佐嶽の裾高鉾前に小城を構えたるやうに見え、一のマスト一二三と櫓を揚け、一の櫓は八畳敷有之』
 すなわち、敵国イギリスの二番目の軍艦であるフリゲート艦であって、海賊船などではない。長さ三十六間(約六十五メートル)、船首には翼を広げ、目を彩色した怖ろしい鳥の像をつけている。五十挺の大砲が上方に並び、夜のうちに楯を引けば、一晩で塀をめぐらせたように見える。大砲ごとに火蓋を取り、黒装束に陣笠の者が一人ずつ火縄を振って、今にも撃ち出しそうな構えである。稲佐岳の裾、高鉾の前に小城を構えたように見え、三本のマストのうち一本は八畳敷ほどの太さがある——。
 ドゥーフはユニオンジャックの絵を描いて示した。上條はそれを「珍しきもの」として保管した。
 敵国の軍艦が、意図も知れぬまま、はるばる長崎までやって来た。ドゥーフはなお驚きを隠せぬまま、これがイギリス軍艦であることを奉行に知らせるよう、中山作三郎に告げた。
 間もなく中山作三郎が戻ってきた。「奉行は、長崎には一人の兵もおらぬと地団太を踏んでおられる。かの船を抑留するにはどんな手立てがあるか、また船にはおおよそ何人が乗っていると思うか、とのお尋ねである」(長崎オランダ商館日記四/二〇二p)。
 ドゥーフは答えた。昨夜、末永甚左衛門が観察したように加農砲四十門を備えているのなら、間違いなく三百人かそれ以上の乗組員がいるであろう。同船を抑留するには、出港の際に必ず通る港口——神崎・女神間の五百メートル弱の出口に、大型船を何艘も沈めて塞ぐほかに思いつかない。だが、それを実行するには大変な労力と時間がかかり、準備しているうちに異国船は出帆してしまうのではないか、と。
 中山作三郎がこの返事を伝えると、図書頭と上條徳右衛門は「今の人数では佐賀・福岡だけではとても無理だろう」と結論した。
 ここに至って、長崎奉行所が向き合う相手は、もはや正体不明の異国船ではなかった。敵国イギリスの軍艦である。事件は、異国船の騒動から、対英の軍事危機へと変わった。
 奉行所は動き出した。乙名頭取石本幸四郎と盗賊方田口惣兵衛が呼ばれ、ドゥーフの言う沈船封鎖の可否を検討せよと命じられた。主だった面々は両御番所への督促や沖の監視に出払っていたのである。二人は「容易ならざること、できるかどうかはお約束できませんが、早速取りかかってご返事申し上げます」と答えた(用部屋日記・通航一覧四一九p)。
 二人は長崎港の絵図を広げた。出動してくる各藩の兵力を朱で書き込み、人数と役割、奉行所兵力の配置、空船を置く場所を決める。敵船を沈める役は警備年番の佐賀藩――そう評議を一決し、必要な品々の手配を始めた。 佐賀藩聞役関傳之允には、焼き打ちにつき即刻深堀役人へ申し伝えよ、空船が足りぬゆえ深堀に停泊中の廻船も非常事態につき召し上げよ、と命じた。地下宿老林伊三太には、佐賀藩屋敷の番頭米倉権兵衛へ催促をかけ、封鎖に用いる空船を連結する大綱の手配を深堀へ連絡させた。堺宿老高次藤一郎には、大阪廻船の碇綱を集めて林伊三太へ渡すよう命じた。町方の有力者までもが、ただちに動員された。
 そうするうちに、両御番所へ遣わしていた木部幸八郎や山田吉右衛門、花井常蔵が戻り、手薄な状況が相変わらずであると報告した。
 静かな夜明けは、午前八時半の確認を経て、長崎全体を軍事行動へと傾けていった。

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