4 発見

午後2時、検使とオランダ委員団を乗せた船々が、大波止を離れ、長崎港口へ向かった。
検使は、菅谷保次郎と上川伝右衛門、異国船を実検する役人たちである。この日同行するオランダ委員は、ホウセマンとシキンムルの二人であった。例年であれば、入ってきた紅毛船の信牌を出迎えの役人が確かめる、旗合と呼ばれる手続きがある。今日もまた、その手筈で漕ぎ出していくはずだった。ただし、刻限だけが違っていた。季節外れの入港ゆえ例年より早めに出よ。書院で奉行から直々に受けた申し渡しに従っての、この時刻である。
その一句にこそ、図書頭の疑いが込められていた。季節外れとは、つまり、オランダ船でないかもしれぬということである。だが早めに出よという形で渡された懸念を、二人がどこまで懸念として受け取ったかは分からない。刻限を繰り上げること自体は、手続きの範囲にすぎないからである。
港口の小瀬戸まで来てみたものの、肝心の異国船は、まだ見えてこない。そこで一行は、オランダ人を伴って、標高100メートルの丘の上に建つ小瀬戸遠見番所まで、800メートルの坂道を登っていった。遠眼鏡で沖を望めば、帆影はなお、7里も8里も先にある。検使がオランダ人に遠眼鏡を手渡してみたが、これがオランダ船かどうかまでは、確かめられぬという。代わりに同行の船頭に見させると、船頭は喫水の深さに目をとめ、荷足も深く見えるからオランダ船でしょう、と答えた。荷を積んだ船は喫水が深く沈み、空荷の船は浅く浮く。船乗りには、それで見当がつくのである。
この船頭の見立ては、実のところ、間違ってはいなかった。あの船はたしかに深く沈んでいた。ただし積んでいたのは交易の荷ではない。四十門を超える大砲と、その弾薬と、三百五十人分の水と食糧である。重い船だという観察は正しく、そこから引き出した結論だけが誤っていた。しかもこの一言は、オランダ人でさえ判じかねた場面で、迷いを断つように響いたのである。
確かめを終えた一行は、ふたたび丘を降り、沖へと出た。高鉾島を過ぎ、神島の先の、四郎ヶ島のあたりまで乗り出していく。それは、例年の旗合の地点よりも、はるかに沖であった。港口から西へ2キロほどの福田崎のあたりには、盗賊改方の船も出ている。沖へ出た船々は、強い風と荒れる波に押されて、港外のあちこちに散らばっていた。
この散らばりが、のちに効いてくる。八艘の船はそれぞれの持ち場に散り、互いの位置さえ定かでない。何かが起きたときに束ねる手立ては、この時点ですでに失われていた。
その頃、沖から近づきつつあったフェートン号のほうは、いまだに伊王島を確かめられずにいた。島の緑は背後の山々に溶け込み、どう見ても、陸地の一部にしか見えない。頼みの緯度の見立てにも、迷いが生じていた。ペリューは、危うくその島を見過ごし、そのまま通り過ぎてしまうところであった。
すんでのことで通過してしまうところだった。のちの報告書に、彼はそう書いている。もしそのまま行き過ぎていれば、この日の長崎は、何も起こらぬ一日として暮れていたはずである。
そのときである。その島に、するすると、オランダ国旗が掲げられた。ほかでもない、日本側の手による信号であった。
伊王島は佐賀領であり、遠見番所を守るのは深堀藩の者たちである。沖の帆影を紅毛船と見た彼らが、港口の在り処を教えるつもりで揚げた旗であった。
責めるには当たるまい。外海から長崎の港口を見つけ出すことがいかに難しいかを、この島の遠見番は誰よりも知っていた。荒天の折など、オランダ船に目印を送る慣行が、以前からあったのであろう。純然たる親切である。奉行が抱いていた懸念、季節外れの船を尋常のオランダ船と思うな、というあの一事は、島の遠見番までは届いていない。届ける手立ても、なかった。
この一本の旗が、ペリューに、すべてを教えることになる。目の前にあるのが、探し求めていた伊王島であること。その北端こそが、長崎港の入口であること。そしてなにより、日本側が、近づくこの船を、疑いもなくオランダ船と思い込んでいること。
午後3時15分、フェートン号は、自らもオランダ国旗を掲げた。日本側の旗に応えるように、檣上に、紅・白・青の旗が翻る。偽りの旗である。
歴史に残る大きな失敗の前には、たいてい、小さな過誤が幾つも積み重なっている。喫水を見てオランダ船でしょうと言った船頭。港口を教えるつもりで旗を揚げた遠見番。どちらも自分の職分に忠実であり、どちらにも悪意はない。にもかかわらず、その二つが重なって、偽装した軍艦を港口まで導いた。
一方その沖では、隠密方の吉岡十左衛門が、返書の遅さを訝っていた。本来なら沖取締遠見番が受け取っているはずの返書が、いっこうに回ってこないのである。それを確かめ、御役所へ届けるまでが、隠密方の務めであった。不審に思った吉岡は、自ら船を出して、遠見番の船に乗りつけた。ところが、一同そろって異国船へ向かおうとしたその矢先、舳先が遠見番の船にどんと突き当たり、両船はしばし混乱に陥った。そのぶんだけ、追従は遅れる。順風は強く、その間にも異国船は、みるみる先へと進んでいった。
この衝突がなければ、返書を出さぬ船への不審は、もう少し早く検使のもとへ届いていたかもしれない。積み重なる小さな過誤の、これも一つであった。
やがて、検使とオランダ委員の一行が四郎ヶ島まで出ると、異国船が掲げる紅・白・青の横縞の旗が、今度ははっきりと見てとれた。検使はすぐに、出役の通詞の船を呼び寄せる。通詞の今村才右衛門を介して、オランダ委員に確かめさせた。あれは、オランダ国旗に相違ないか。返ってきたのは、相違ない、という答えであった。
手続きとしては、これで完結している。定めの通りに沖まで出て、定めの通りに通詞を介し、定めの通りにオランダ人自身へ確認を求めた。誰ひとり手を抜いてはいない。手順が正しく踏まれ、正しく踏まれたがゆえに、誤りのほうが確定した。
そのまま待ち受けているうちに、風がいよいよ強まった。すると異国船は、下段の帆を絞った。帆を絞れば船足は落ちる。待ち構える船々のもとへ、自ら寄っていくための操作であった。巨体は、たちまち間合いを詰めてきた。
獲物が来るのを待っていたのではない。向こうから、間合いを詰めにきたのである。
そのフェートン号の甲板からは、港口へと続く海面が、よく見渡せていた。連なる島影は、彼らには大河の中州にしか見えなかった。マカオで見た珠江の河口は、それ自体が大海のようであり、遡れば100キロ先の広東に町がある。長崎もまた、そうした河口に築かれた町なのだろう。そう思い込んでいた。
この思い違いは、そのままにされる。だからこそこの夜、三艘の小艇が港内をくまなく漕ぎ回ることになる。上流のどこかにオランダ船が隠れている。彼らは最後まで、そう信じていた。
周囲の小舟は、巨大な異国船がぬっと迫ってくるのを見るや、先を争うように遠ざかっていく。4年前、ロシア使節レザノフのナデジュダ号が入港したときには、一目見ようと見物の小舟が群がったものだった。今度は、逆であった。その慌てふためく様子を、乗組員たちは、高い艦上から、ただ見下ろしていた。
だが午後5時、その小舟の一艘に、乗組員の一人が、まぎれもないヨーロッパ人の姿を認めた。
これこそが、はるばる追い求めてきた、襲撃の標的であった。
次の瞬間、ペリュー艦長の命令が、矢継ぎ早に下りはじめた。

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