3 追跡

朝の動員で立山役所に呼び出され、証文と用意銀を渡された吉川次郎平と児島唯助は、そのまま大波止から漕ぎ出していた。沖取締遠見番は、ただ沖を見張るだけの役ではない。来航の船を見つければ真っ先にその船へ漕ぎ寄せ、出島から預かった書簡を手渡して身元を確かめるまでが務めである。だからこそ、誰よりも先に、誰よりも遠くまで出る。
水主たちの櫓は、休むことなく西へ西へと進み、船はいつしか佐賀領鷹島の沖にまで達していた。長崎港口から10キロ、伊王島や香焼島からは、さらに4キロも先である。足もとにはもう、外海の深い色が広がっていた。
その日、空は晴れていた。だが、風が強い。戌亥、北西から吹きつけるその風に、海面はいちめん白く崩れ、波頭が砕けるたびに、しぶきが容赦なく顔を打った。うねりは大きく、小舟は波の背に乗せられては谷へ落ち、落ちてはまた、高々と持ち上げられる。櫓は、波の谷に沈むたび、水を掴みそこねた。
その南の沖、7里か8里の彼方に、児島唯助が一つの帆影を見つけた。野母の鼻を回り込み、まっすぐ伊王島を目指して入ってくる、一隻の船である。
櫓が軋み、水主たちは背を丸め、足を踏ん張って漕いだ。だが、船はいっこうに進まない。北西の風は、沖から入ってくるあの船にとっては追い風だが、それを迎えに行く小舟にとっては、真っ向からの向かい風であった。向こうが風をはらんで滑るように近づいてくる一方で、こちらは波を一つ越えるたびに押し戻される。汗が噴き出し、息が上がる。それでも帆影は、漕いでも漕いでも、遠いままだった。
伊王島から2里、3里。ようやく船影が大きくなってきたかと思うと、風はさらに強まり、波はいよいよ高くなって、近づこうにも近づけない。ただ、波に揉まれるばかりであった。
そのうち、あの船がゆっくりと向きを変えた。風を横から受ける形になって、風下の波が、ふいに弱まる。今を措いてない。水主たちはその一瞬を突いて漕ぎ寄せ、ついに船腹へ取りついた。
見上げた二人は、思わず息を呑んだ。
舷側が、空を塞いでいた。
毎年入ってくる紅毛の商い船とは、丈も、横幅もまるで違う。波の上にそびえ立つその壁は、小舟の何倍もの高さで頭上に立ちはだかり、甲板の様子は、下からはまるで見えない。波に揉まれる自分たちの小ささが、にわかに身に迫ってくる。これほどの船を、二人は、これまで見たことがなかった。
見たことがないのは、当然であった。二人が見上げていたのは商船ではない。四十門を超える砲を舷側に納めた、英国海軍のフリゲート艦である。だが、そのようなものが日本の海に現れうるという想定は、この国のどこにも用意されていなかった。二人には、大きすぎるオランダ船としか呼びようがない。
見たところ、紅毛船、オランダ船のようではある。だが、どこかおかしい。旗がないのだ。どこにも、旗印というものを掲げていない。
そもそも来航の船には、踏むべき決まりがある。まず沖取締遠見番が真っ先に近寄り、出島のオランダ人から預かってきた横文字の書簡を手渡す。すると向こうはそれに何ごとか書き入れ、ふたたび返してよこす。書き込まれた文字が、その船をバタビアからのオランダ船と証し立てるのである。長年、繰り返されてきた仕来りであった。
次郎平は身を乗り出し、預かってきた書簡を頭上へ高々と差し出した。受け取れ、これに応えよ、と手真似で何度も繰り返す。だが、何の返事も、返ってこない。頭上にそびえる壁は、ただ黙したままであった。人の影は確かに動いている。こちらを見下ろしている気配もある。それでいて、誰一人として書簡に手を伸ばそうとはせず、何ひとつ、応えてはこないのだった。
応えぬこと自体が、すでに答えであった。だが長年の仕来りには、書簡に応じぬ船をどう扱うかという定めが、そもそも書かれていない。200年のあいだ、この手続きを踏まぬ船が入ってきたことなど、一度もなかったからである。
では、その頭上ではどう見えていたのか。ストックデールは、のちに特別手記へこう記している。本艦が港に近づいた時に、一隻の小舟が通り過ぎたが、挙動や手附きから推察して、我々が何であり、また誰であるかを知りたがっているようであった。しかしながらこの点では、彼らの好奇心を満足させることに思い及ばなかった。それで、小舟を遣り過したまま港内へ入ってしまった、と。
好奇心、である。彼らの目に、次郎平たちは、珍しい船を見物に来た漁師としか映っていなかった。沖取締遠見番は地役人であり、その装いは職務柄、実用一点張りであったろう。羽織も供も従えぬ小舟の数人を、来航船を検める公儀の役人と見抜けというのは、たしかに酷な話ではある。だがその見誤りによって、日本側が持っていた唯一の正規の手続きは、素通りされた。差し出された書簡は、取るに足らぬものとして黙殺されたのである。
不審が、ぐっと胸をついた。これは、尋常な船ではない。そう思った瞬間、次郎平の頭をよぎったのは、注進であった。一刻も早く、このことを港へ報せねばならぬ。だが、それができなかった。
こちらは、小さな舟にすぎない。ひとたび離れたが最後、大船が順風を受けて走り出せば、もう二度と追いつけはしない。報せに走れば、船を見失う。かといって船に食らいついていれば、その報せが出せない。どちらの道も、立ちゆかぬのである。心ならずも、次郎平は、ただ追尾を続けるほかなかった。
追うか、報せるか。この二つを同時に行う手立ては、長崎の仕組みに用意されていなかった。沖出役は二人一組で四艘が出ていたはずである。だが海は広く、それぞれの持ち場に散っていて、この一艘が掴んだ不審を託せる相手は、見渡すかぎりどこにもいなかった。
巨船に引きずられるようにして、小舟は、伊王島の内へ内へと運ばれていく。佐賀領の神の島が、しだいに近づいてくる。波は、相変わらず高かった。
伊王島から1里の沖まで来たとき、船尾に、ふいに、大きな旗が翻った。赤、白、青。
オランダの旗であった。
だが、それでも、次郎平の胸の疑いは消えなかった。まことに阿蘭陀船であるならば、なぜ今この時まで旗を隠していたのか。なぜ、初めから堂々と掲げなかったのか。傍らの児島唯助もまた、無言のまま、その旗を見上げている。二人が胸の内で考えていることは、同じであった。何かが、おかしい。
次郎平は、もう一度、書簡を高く掲げて待った。だが、やはり返ってはこない。なおも度々催促すると、頭上の誰かが、ようやく手真似で応えた。どうやら、返事を書く、と言っているらしい。
ところが、それきりであった。誰も降りてはこず、書簡を取りに来る者もいない。高い舷側の向こうに人影は動き、こちらを見ている気配もあるというのに、いっこうに応えようとはしないのである。ついに次郎平は、声を荒げた。ならば、その書簡を返せ。だが、その後はもう、誰一人として姿を見せなかった。赤白青の旗だけが、むなしく風にはためいている。その光景は、応えがあるよりも、かえって不気味であった。
小舟は、なおも巨船に引かれて、港口へと近づいていく。次郎平の胸には、漕ぎ出したときよりも、よほど重い疑いが残っていた。最後まで旗を隠していたこと、横文字の書簡に応えぬこと、こちらの問いかけのことごとくを、のらりくらりとはぐらかすこと。この船は、何かを隠している。
だが、その疑いを抱いているのは、波間に揉まれるこの小舟の上の、わずか数人だけであった。離れれば、順風を受けた巨船はたちまち先へ行き、どこへ向かったかも分からなくなる。だから、追うしかない。そして追っている限り、誰も港へ注進には走れない。
長崎奉行所が真っ先に受け取るべきであった報せ。入ってくる異国船は、旗も掲げず、合図にも応えぬ、尋常ならざる船である、という、ただ一つの警告。それは、こうして誰の耳にも届かぬまま、巨船とともに、長崎港の口へと、ゆっくり吸い込まれていった。

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