長崎へ向かって東進するフェートン号が五島列島南端の沖合二十キロを過ぎたのは、和暦八月十五日の真夜中である。ストックデールが記した航海日誌には「快晴 Light Breeze」とある。穏やかな夜であった。二十キロの距離を隔てて、見張りは五島列島の島影を視認している。
やがて日の出とともに、長崎の陸地が見えた。マストトップの見張りが「Land Ho!」と叫んだ。位置は緯度でいえば野母岬のあたりである。正午には五島列島と長崎の中間点に達していた。昨日の正午から二十四時間の移動はわずか百六十キロ。北東からの風がたえず船足を抑えた。
フリートウッドはオランダ船の船長が作った手書きの地図を広げた。その地図によれば、オランダ人がCavallesと名付けた島の背後に長崎港の港口がある。島が港を遮蔽しているので、その西側を回り込めば長崎港に達する。島の日本名は伊王島という。
だがフリートウッドは思いがけない光景に当惑した。見渡すかぎり緑の陸地が連なるばかりで、島など見えない。コーターデッキに立つ士官たちも、マストトップの見張りも、このとき気づいていなかったが、すべての島は背景の陸地の緑に溶け込んでいたのだ。遠方から見定められる目印は、この沿岸に一つもなかった。漁村も集落も、よほど近づかなければ見えない。
フリートウッドは緯度計測を誤ったと判断した。報告書に「緯度の正確性を疑ってしまった」と書いている。彼は南下を命じた。長崎はもっと南にあると見たのだ。
こうしてフェートン号は、岩だらけの小島が群がる地点に達した。今「三ツ瀬」と呼ばれる場所である。その先に高く切り立った岬があった。向こうに長崎港があると思い、岬の南を回り込むと、現れたのは広い海だった。さらにその先、遥か彼方に高い山が見えた。雲仙岳である。間違いに気づいたフリートウッドは航路を百八十度転じ、岬を戻り、右手に野母半島を見ながら北上した。
北上すると、思いがけない幸運が舞い込んだ。伊王島の遠見番が、この船をオランダ船と誤認したのである。入港船発見の合図として、山の中腹にオランダ国旗が掲げられた。これでようやく伊王島を特定できた。午後三時十五分と、ストックデールは日誌に記している。
フリートウッドは伊王島の西端を回ると、東進を命じた。島の東側には別の島があり、その水路は狭く危険だからだ。
おそらく検使一行とフェートン号が互いを視認したのは、ほぼ同時であったろう。マストトップの見張りの叫びに、コーターデッキの士官たちは一斉に遠眼鏡を凝らした。距離は三マイル弱、約五キロである。
フリートウッドは興奮を抑え、南支那海で何度も繰り返した演習どおりに、選抜したチームへ待機を命じた。第一マストと第二マストの帆を絞り、船足を制御する。そしてオランダ人水兵のメッツェラールをコーターデッキに呼び上げ、自分の横に立たせた。
「オランダ旗を掲げよ」とフリートウッドは命じた。巨大なユニオンジャックに代わって、オランダ旗が艦尾に翻った。
「オランダ旗だ!」見張りの叫びに、士官たちは再び一斉に遠眼鏡を覗いた。幔幕を張った格式ばった大型船の脇で、一艘の和船が赤白青の水平三色旗を掲げている。
「あの船を目指せ」命令より早く、ボースンの笛が鳴り、操帆と舵取りが行われた。八メートルから十メートルの強い風が吹いていたが、フェートン号は見事にオランダ船へ寄せ、至近で停止した。
オランダ旗を掲げた和船が近づこうとするが、逆風でなかなか寄れない。これを見たフリートウッドは、小艇にメッツェラールと十五人ほどの水兵を乗り組ませ、その小艇が向かいやすいように素早く舳先を回した。小艇はスルスルと海上に降ろされ、オールを揃えて漕ぎ出し、すぐにオランダ人の船に近寄った。午後五時三十分とストックデールは記す。日没は近いが、まだ明るく、快晴であった。
オランダ人二人が船縁に出て「どこの国の船か」と問う。すかさずメッツェラールが「バタビアから来た」と返した。オランダ人は「去年帰国した商館員イイキスは渡来しているか」と聞く。メッツェラールは「乗船している」と話を合わせ、「こちらへ乗り移られよ」と呼びかけた。オランダ人は「もうすぐ日本の役人がこちらに来る」と答えた。
検使の乗る大型船が、オランダ人の船のすぐ脇へ寄ろうとした、その時である。フリートウッドはメガホンを口に当てて叫んだ。
「オランダ人二人を捕らえよ!」
途端に水兵たちは隠し持った剣を抜いた。応答していたホウセマンの体を掴むと、小艇へ引きずり込む。もう一人のシキンムルはそれを見て、慌てて船の後ろへ逃げた。抜身の剣を振りかざした水兵が追って乗り移ってくると、漕ぎ手たちは悲鳴をあげて海へ飛び込み、大混乱となった。ホウセマンとシキンムルを拉致した小艇は、その混乱に目もくれず本船へ戻り、素早く甲板へ吊り上げられた。日本人が見たこともない早業であった。
艦上に降り立った二人は、恐怖に捕らわれながらも、勇を振るって「船長に会いたい」とメッツェラールに懇願した。なぜこの異常な事態が起きたのか、直接確かめたかったのだ。
メッツェラールが訳すと、水兵たちの中から長身の士官が前に出た。二人が驚いたことに、十八か十九の若者であった。だが乗組員の誰もが彼を畏怖していることは、すぐに分かった。仕立ての良い士官服に、磨き上げた長靴。薄汚い水兵たちの中で、その姿は光彩を放っていた。ほかにも士官の姿はあったが、貫禄も立ち居振る舞いもまるで違った。艦長フリートウッド・ペリューである。
フリートウッドは二人を、コーターデッキ下の広い艦長室へ連れ込ませた。そして自ら短筒を抜き、二人の胸に突きつけて尋ねた。メッツェラールが訳す。
「バタビアから二艘のオランダ船が着いているはずだ。どこにいる。まだ港内に停泊しているのか。嘘を言えば命を落とすぞ」
ホウセマンとシキンムルは首を横に振った。
「今年は来航しておりません。神に誓って真実を申し上げます」
フリートウッドは自信たっぷりに言った。
「バタビアを出航したポルトガル船から、今年は二艘のオランダ船が長崎へ向かったという情報を得たのだ。もうとっくに入港しているはずだ」
これこそ、七月十日にマドラスを発ち、三か月の航海をして長崎へ遠征してきた目的を、フリートウッド自らが明かした瞬間であった。長崎からバタビアへ向かうオランダ船、その最も価値ある積み荷は銅である。父エドワード・ペリュー提督は、この二艘を捕らえるため、艦隊司令長官の職を去る間際に、溺愛する次男フリートウッドへ日本遠征を命じたのだ。
二人は、海上で白刃を振るわれて拉致された恐怖に加え、いままた胸元に銃を突きつけられ、口も利けぬありさまだったが、真実を言うしかなかった。
「バタビアからは今年は一艘も入港しておりません」
「嘘をつくな。正直に言わねば死ぬことになるぞ」メッツェラールに促されても、二人の証言は変わらなかった。
見切りをつけたフリートウッドは「それなら自分で見つけ出すまでだ」と言い捨て、二人を残して艦長室を出た。陽が西に傾いている。まずは安全な場所に停泊する必要があった。地図には、長崎港の入口にPapenberg──日本名を高鉾島という三角錐の小島が、来航船の停泊地として定められている。
フリートウッドはこの先の狭い水路を観察して驚嘆した。まさに天然の要害である。彼自身が体験したとおり、伊王島が見事な遮蔽物となって、外海からはこの水路が見えない。慣れた船乗りでなければ長崎港へは辿り着けず、ひとたび水路を抜けて港内に入れば、間違いなく袋の鼠となる。彼は水路の外、長崎の町の全景が見える海上に碇を下ろした。
航海日誌によれば午後六時。間髪を入れず、フリートウッドは港内捜索を決断した。オランダ人の供述を信じず、二艘は港内のどこかに隠れていると見たのだ。自らが先頭に立って捜索する。
フリートウッドは積載するすべての小艇三艘の武装と、三隊の編成を命じた。たちまちボースンの鋭い笛が鳴り響き、南シナ海で散々繰り返したカロネード砲の取り付けが始まる。一艘あたり四十人から五十人が選ばれ、それぞれが剣や銃で武装した。三百五十人の乗組員の、ほぼ三分の一が出動することになる。
兵員を満載した三艘を海上に降ろしたのは午後七時である。日没は午後六時二分。快晴のこの日、西空はオレンジから暗い紫へと変わり、午後五時二十一分に東の空へ昇った満月が、海面を明るく照らしていた。大型の番船や帆を立てた小舟が彼らを監視して海上にあり、三艘のジャンクも見えたが、何も手出しをする様子はない。
女神と神崎の岬の間の隘路を抜けると、両岸に駐屯地のようなものが見えた。西泊と戸町の番所である。だが西洋の石造りの要塞とは違い、長く白い幔幕が張り巡らされているだけで、その背後に兵士の小屋やテントは見えても、大砲は見当たらない。弓矢と刀で武装した兵の姿は見えたが、フリートウッドが脅威を感じるものは何もなかった。
彼らが港内へ侵入していくと、さまざまな鐘の音があちこちで鳴り響き、町全体が恐怖と喧騒に覆われていくのが分かった。だがフリートウッドに臆した気配はない。二十分ほどで出島に近づいた。報告書に「ピストルの射程」とあるから、水門から二十メートルほどまで寄ったのだろう。だが彼は上陸しなかった。報告書に「もしもそれが我々の目標であったとしたら、上陸したかもしれない」と述べている。彼の眼中には、貴重な荷を満載したオランダ船しかなかった。
三艘の小隊はそれから大波止へ向かい、北上して大黒町の海岸や御米蔵のあたりを漕ぎ回った。狂ったように鐘が鳴り響いていたが、フリートウッドに怯えも警戒もない。
それから長崎港の最も北、浦上川の河口を巡り、この川は大型船が遡れぬのを確認した。満月の輝く狭い湾内に、西洋式帆船の影も形もなかった。オランダ人の証言は正しかったのだ。
三艘の小隊は西へ向かい、長崎対岸の稲佐の辺りへ来た。ここでフリートウッドは手勢を率い、自ら上陸した。報告書に「小ぎれいでがっちりした外見の家に立ち寄った。そうしたところ、居住者達はびっくり仰天してみな逃げてしまった」とある。
あちこちで半鐘の鳴り響く敵地で、自ら上陸する。だが住民は逃げ出すばかりで、誰一人として彼を止められなかった。
長崎の土に足跡を残したフリートウッドは、フェートン号に戻った。日本側からは、ついに一切の抵抗を受けなかった。西洋式のオールで快足を飛ばし、彼は悠々と本船へ帰った。佐賀藩が警衛する西泊と戸町の両番所は、三艘の往来を何の手出しもせず見過ごしたのである。
フェートン号では日本側の夜襲に備えて厳重な警戒態勢を敷いていたが、とっくに日本側の反撃を見くびっていたフリートウッドは、特に緊張も見せず艦長室に入った。
捕らえられたホウセマンとシキンムルは、捜索のあいだメッツェラールらの監視下にあった。同国人のよしみで、当初の恐怖からは多少立ち直っていたであろう。二人は士官たちから、艦長自身が小隊を率いて港内探索に出たことも、その本当の年齢も知らされたであろう。
戻ってきたフリートウッドは艦長室に入ると、二人に笑って言った。
「話は本当だった。オランダ船はいなかった。命拾いをしたな」
二人は改めて、その若さと精気に満ちた容姿に驚いた。長身を糊の利いた軍服に包み、身のこなしは機敏で、いかにも颯爽としている。しかも三百五十人の荒くれ水兵が、彼の命令にキビキビと動くのだ。見慣れた商船とは違う、いかにも軍艦らしい光景であった。
ホウセマンとシキンムルは「オランダ船がいないことが分かった以上、我々を解放してください」と懇願したが、聞き入れられることはなかった。代わりに、寝場所を指示されただけであった。
こうしてオランダ人二人にとって、嵐のような八月十五日は、ようやく幕を閉じようとしていた。そして長崎では、恐怖の夜が始まろうとしていた。