甚左衛門にドゥーフの手紙を託して沖へ送り出すと、図書頭はただちに次の命を下した。
「異国船が求める品を、用意せよ」
水を与える。食糧を与える。
口にした図書頭自身、それを望んでいたわけではない。国法を破り、剣を振るってオランダ人を奪い去った異国船である。その船に、こちらから水と食糧を運んでやる。法と秩序に誰よりも謹厳なこの男にとって、屈辱以外の何ものでもなかった。
だが、ほかに道はなかった。
奪われた二人を取り戻すため。長崎の町を守るため。そして、あの軍艦を一日も早くこの港から去らせるため。──三つの重荷を背負い、図書頭はその屈辱を呑み込んだ。
これは、屈服ではない。力で争うのでなく、求めるものを与えて退かせる。図書頭は、そう肚を決めた。
深夜の奉行所が、息を吹き返した。
呼び出しが飛ぶ。廊下を提灯が揺れながら走る。眠りかけていた者は叩き起こされ、命令が次々と伝えられていく。書役が筆を走らせ、手代が書付を抱えて駆け出す。波止場役が呼び出される。御代官の手代が走る。
異国船の出現以来、不眠不休で疲れ切っていたはずの者たちが、ふたたび動き出した。
御船頭の隠居、土師喜八が呼び戻された。水主たちには、刀の帯用が許される。平時にはありえぬことだった。それだけ、この夜が尋常でないことを、誰もが肌で知っていた。
だが、町はまだ混乱の底にある。
異国船が現れて以来、長崎の統制は乱れたままだ。腰を抜かした者、戸を閉ざした者。そのなかで、命じられた品を、かき集めねばならない。
野菜。薪。蕪や大根などの根菜。
人足が駆り集められ、荷が波止場へと運び込まれていく。
夜の波止場は、提灯の光が幾筋も交差していた。野菜が運ばれ、薪が積み上げられる。水樽がごろごろと転がされ、桟橋の板を鳴らす。船頭が呼び出され、縄が引かれ、船べりへ荷が積み込まれていく。
怒号が飛ぶ。荷の数を確かめる声。急げと怒鳴る声。
その光景は、まるで戦支度であった。
だが、運び込まれているのは、武器ではない。鉄砲でも、弾薬でもない。野菜であり、薪であり、水だった。
長崎は今、四十門を超える大砲を備えた軍艦と、向き合っている。その相手に、こちらが用意しているのは、砲弾ではなく、食糧であった。
戦うための支度ではない。戦わずに、事を終わらせるための支度だった。
水を積む船は、一艘。
あれほどの巨艦が事欠くという水に対して、海へ出されるのは、たった一艘ぶんであった。それは潤沢な補給とは、とても言えなかった。
夜明けには、まだ間がある。
補給の船は、すでに仕立て終わっていた。あとは、沖へ漕ぎ出すだけである。
人々は疲れ切っていた。だが、誰も休めなかった。オランダ人二人は、まだ帰って来ていない。
水と食糧を積んだ船は、闇の波止場で、沖へ向かう時を待っていた。