サーベルが振り下ろされたのは、午後五時ごろであった。
ホウセマンとシキンムル、二人のオランダ委員の船は、それまで検使の船に寄り添って異国船を待っていた。だが端船から乗り移ってきた者たちが白刃を振るって二人を取り押さえ、有無を言わせず端船へ引きずり込んだ。その混乱のなかで、シキンムルは帽子と靴を失った。靴を失うとは、よほどの揉みくちゃである。
周囲では検使の船団が崩れていた。落水する者が続出し、叫びが上がる。日本側の船々は、何が起きたのかを把握できないまま、ただ右往左往していた。
ところがフェートン号の側は違った。二人を乗せた端船は、混乱する検使の船団を尻目に本船へ素早く漕ぎ戻った。そして本船に着くや、デリック――荷や船を引き上げる装置――を使って、瞬く間に甲板へ巻き上げられた。一切の無駄がない。海上で散々繰り返してきた演習の手並みである。
この素早さこそが、二人に最初の事実を突きつけた。これは商船ではない。物々しい武装と、見渡すかぎりの乗組員。マストには依然オランダの旗が翻っていたが、その旗の下にあるのは軍艦であった。
二人はすぐにコーターデッキ下の船長室へ連れ込まれた。
船内は、商人が知る世界ではなかった。狭い艦内に夥しい人がいる。三百を超える男たちが、それぞれの持ち場で動いている。砲が並び、武器を帯びた水兵が行き交う。荒くれた風体でありながら、その動きには軍艦特有の規律があった。命令一つで全員が同時に動く――その気配だけで、二人は自分たちがどこへ運ばれたのかを理解した。
間もなく、二人の兵士を従えて船長が現れた。
二人が驚いたのは、その若さである。二十歳前後にしか見えぬその若者こそ、フリートウッド・ペリュー艦長であった。実際には、まだ十九にも満たない。
長身は父譲りである。遠路の航海のあとにもかかわらず、彼の士官制服にはプレスが利き、染み一つなかった。自費で乗り組ませたインド人の少年が、毎日手入れをしていたのである。薄汚れた乗組員たちのなかにあって、その姿だけが別格であった。
だが二人を本当に黙らせたのは、身なりではない。
この若者が一段高いコーターデッキから主甲板を見下ろせば、荒くれ者揃いの乗組員でさえ逆らわなかった。命令は出された瞬間に実行され、年嵩の水兵が、半分も年のいかぬ艦長の声に、躊躇なく従う。十九という年齢が、その威厳に水を差すことはなかった。二人が船内で見たのは、その一点であった。
ペリューはまず、二人から二つの書面を奪い取った。
一つは「警告書」。来航するオランダ船の船長に宛て、禁制のカトリック関連の書物・文書・十字架・偶像のたぐいをすべて始末せよと命じる文書である。これは入港時の手順としてよく知られている。
もう一つは「代表委員たちと検使たちの間に起こった記録」であった。オランダ人が検使と行動を共にした間の出来事を、逐一書き留めていたのである。この種の記録への言及は、商館日記のこの箇所以外にない。おそらく年若いシキンムルの仕事であったろう。彼らは、何かの行き違いで事故や事件に至った場合に備え、「すべて検使の指示に従った」という証拠を残していた。奉行所も通詞も、心の底では信じていない。いつ自分たちの所為にされるか分からない――その怯えのなかで生きる者の習性であった。
そして尋問が始まった。
二人の兵士がサーベルを抜き、白刃を二人の胸に突きつけた。生きた心地はしなかっただろう。ペリューが英語で問い、水夫がオランダ語に訳した。この水夫はメッツェラールといい、オランダ商船エリザベート号に乗っていたところを英海軍に捕らえられた男であった。
ペリューは感情を見せなかった。怒鳴りもせず、脅しもしない。必要な情報だけを取りに来ていた。その冷たさが、かえって恐ろしかった。
ちなみに、この艦長は美青年と言うべき整った顔をしていた。父エドワード・ペリュー提督が頂点に立つマドラスの社交界では、ある婦人が「こんな美しい青年は見た事がない」と驚嘆したほどである。だが胸に白刃を突きつけられた二人に、それを認識する余裕があったかどうかは分からない。
ペリューが知りたかったのは、ただ一つであった。
「オランダ船はどこに停泊しているのか」
このときペリューたちは、長崎港の全体像を掴んでいなかった。航海日誌を記したストックデールの手記によれば、彼らは長崎港一帯を、大きな河の河口だと思い込んでいた。マカオで見た珠江のせいである。あの河口は大海そのもので、上流へ百キロも遡れば広東に至る。だから長崎という「河」の上流のどこかにオランダ船がいる――そう考えていた。
二人は答えた。「今年はオランダ船はまだ来航していない」と。
ペリューは迷わなかった。「それが本当かどうか、私自身が確かめてくる」。そう言い放つと、即座に艦長室を出て命令を放った。確かめる、と言ったその口で、もう動いていた。
艦長が消えたあと、二人の耳には船内の喧騒だけが残った。
ボースン――甲板長――の吹き鳴らす警笛。本船から端船を降ろせと叫ぶ声。大勢の水兵が走り回る音。船全体が一つの作業に向かって唸っていた。
そして、やがて静かになった。
何が起きたのか分からない。船内には、二人のオランダ人だけが取り残された。胸に突きつけられていた白刃の感触だけが、まだ残っていた。
ペリューは、自ら三艘の端船を率いて出ていったのである。いずれもカロネード砲まで備えた武装艇であった。確かめると言ったとおり、彼は長崎港の内へ漕ぎ入っていった。
国交のない港である。夜である。敵地である。だが、この若者にはそれを気にする様子がまるでなかった。怖がっていないのだ。十九にも満たぬ男が、見も知らぬ国の港へ、平然と乗り込んでいった。