10 憤怒

夕刻の西役所は、もはや平時の役所ではなかった。
東に面した門をくぐり、玄関を上がってすぐの大広間には、町使・散使・唐人番の三組が詰めている。帯刀を許された者が多く、祖を辿れば徳川初期に天下へ溢れた浪人の血筋である。鎧を運ぶ者、槍を抱える者、御武具庫へ走る者。廊下を踏み鳴らす足音が絶えない。与力の斧生源一郎などは、走り回るうちに己の記録を取ることさえ忘れ果てていた。御武器蔵を預かる三浦らには、旗・幔幕・鎧・鎖帷子・旗竿を取り揃え、「御陣屋」へ差し出せと達しが下っている。役所が、陣屋に変わろうとしていた。
夜六半刻、午後六時ごろである。中秋の名月が東の空に顔を出し、夕陽は稲佐山の向こうへ沈んだ。市中はまだ明るい。
その喧騒の只中へ、二人の検使が帰って来た。
菅谷保次郎と上川伝右衛門。幕府が長崎奉行所へ差し向けた手付出役六人のうちの、筆頭格である。だがこの時の二人に、筆頭の威はなかった。槍持ちも従者も現場に置き去り、配下の船さえ見捨て、二人きりで戻ったのだ。正規の波止場である大波止を避け、出島を挟んだ反対側の江戸町から、人目を盗むようにして上陸した。みっともなさを、誰よりも自分たちがよく知っていた。
戻ったとの知らせを受け、上條徳右衛門がただちに二人を奥へ通した。通した先は、奉行の居間である。
居間とは、公式の応接間である書院の、さらに西に位置する部屋をいう。奉行がここで寝起きし、食事をとる。近習を除けば、何人も足を踏み入れることのない、奉行所の最奥である。他聞を憚ったのだ。そして、そこへ通したという一事が、すでに徳右衛門の覚悟を語っていた。図書頭は、人払いをしてでも二人を叱責する構えであった。
鎧をまとった図書頭の前で、菅谷保次郎は大息を吐き、歯の根も合わぬ有様であった。
二人の口から出たのは、こうである。異国船からバッテイラ(小舟)が漕ぎ寄せて来た。その船底から、短銃と白刃を握った十五人ほどが、オランダ人の乗る船へ躍り込んだ。あっという間に二人を捕らえ、本船へ引き取ってしまった。その者どもの働きは猛虎のごとく、付け入る隙もなく見えた。跡を追って刃を交えるべきところではあったが――そうすれば奉行所の御心配も増し、かえって事を乱すかもしれぬと思い、ひとまず立ち帰って報告すべしと判断いたしました、と。
これを聞いて、図書頭の顔がみるみる変わった。
図書頭が許せなかったのは、オランダ人を奪われたという結果ではない。その結果を前にして、二人が口にした言い分であった。
跡を追えば、面倒になると思った――。
武士が、預かった者を奪われ、それを追うことを「面倒」と言う。図書頭の倫理は、その一語を受けつけなかった。
声が高くなった。
その方ども、よく聞け。小禄とはいえ、公儀の禄を食む身であろう。西国の諸藩がこの様を見て、何と思う。これほどの恥がどこにある。今朝も言い聞かせたはずだ。紅毛人は当地が預かる大切な人々である、不用意に先へ出すな、と。それを、入港の身元改めの返事も確かめず、むざむざと奪われた。手抜かりも甚だしい。その上で、刃傷に及べば事が面倒になると申すか。何たる恥知らずの言い草か。
そして、図書頭は核心を突いた。
刃傷に及んだ末のことと、無事に紅毛を取り戻すことと、どちらが大事かわからぬのか。
二人が天秤にかけたものを、図書頭は許さなかった。己の身が刃傷沙汰に巻き込まれることと、預かり人を取り戻すという務めと。その二つを並べ、前者を惜しんで引き返した。武士として、公儀に仕える者として、並べてはならぬものを並べたのだ。
ゆえに、図書頭の命令は「取り返して来い」ではなかった。
即刻立ち戻り、取り返せ。この非常の時に、平時のように見逃すわけにはいかぬ。潔く打ち向かい、死力を尽くして取り戻せ。準備のことは徳右衛門に申し付けてある、心得よ――。
死力を尽くせ、とは、命を懸けよということである。図書頭は二人に、命を懸ける覚悟を求めた。それが、公儀の禄を食む者の務めだからである。
二人は悄然と居間を出た。だが、命を懸けて取り返せとの命を受けても、再び異国船へ向かう気力が残っていたとは思えない。茫然と立ち尽くすほかなかったろう。腰抜けであることは、もはや露呈し切っていた。図書頭もそれを察したに違いない。そして、手元の兵力の貧しさを、この時はっきりと思い知ったはずである。
ここから、図書頭は怒りを指揮へ切り替える。
まず、上條徳右衛門に命じた。非常時の心構えは言うに及ばず、各人がそれぞれの持ち場で、しかるべき処置を遅滞なく取れ、と。
次に、佐賀藩と福岡藩の聞役を呼び出した。これで三度目である。非常事態で連絡が錯綜しているゆえ、連絡係を「陣屋」に待機させ、急用を伝えさせよ、と命じた。陣屋――。役所が、前線の基地となった。砲術家の町年寄薬師寺九左衛門に出動を命じた、ちょうどその頃である。奉行所の機能は、立山の役所からこの西役所へ、まるごと移ったと見てよい。
そして、町方が動いた。惣町七十七の乙名、オランダ通詞、唐通詞、宿老たちが、非常時につき帯刀の許可を願い出た。徳右衛門はこれを受け、貸し刀という心得でこの非常時に限り許す、皆手柄を立てよ、と命じた。同じことを、奉行所内に詰める町年寄後藤惣太郎にも伝えた。すると年寄配下の者どもからも帯刀の願いが上がり、徳右衛門はこれも許した。
日頃、長崎の町方には苗字帯刀を許された者が少なくない。だが、平時の帯刀は厳しく管理されている。その箍が、いま外れた。刀を持たぬ者が、奉行所の刀を借りてまで武装する。町が、戦う構えに変わっていく。
七月、図書頭が定めた非常時の備えは、北辺を犯した魯西亜(ロシア)の来寇を念頭に置いたものであった。沿岸を荒らし、奪って去る者への備えである。
吉岡重左衛門の第一報が西役所へ届いてから、町方一同を巻き込む総動員が敷かれるまで、およそ一時であったろう。その間に、奉行所の機能は立山から西役所へ移っている。合戦さながらの喧騒であったが、ここまでは、おおむね図書頭の描いた筋書きの通りであった。長崎は、機敏に戦時へと姿を変えた。
だが、その備えが想定したのは、荒らして去る者であった。
港口に錨を下ろしているのは、そういう敵ではなかった。
ここから、思いもよらぬ齟齬が生じ始める。

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