78  疑念

10月6日(和暦8月17日)のオランダ商館日記をドゥーフは次のような記述で始めている。

「朝の4時頃秘書官は通詞目付を呼び寄せて、彼に奉行の名において、今なお神崎に投錨している船を敵意をもって攻撃し、そしてもし可能であれば焼き払わなければならぬとする奉行の決意をどう思うか、私の考えを尋ねさせた。 彼、伝之進はその場で私が私の考えをありのまま述べるようにと言った。私は彼、伝之進に、そのような重大な質問に対しては、私は先ずもって一度熟考したいと思う、と言い、そして私はまたそのとおりにした」(商館日記213p)。

ドゥーフを呼び寄せたのは英国海軍のフリゲート艦を、敵意をもって攻撃すべきか、可能であれば焼き払うべきではないか、を問うためである。図書頭の問いは、形式上は軍事的判断を求めるものであった。しかしドゥーフは、そこに含まれる重さを即座に理解した。
図書頭は幕府の代表者であり、しかも率直な人物であった。

英国海軍のフリゲート艦が、はるばる長崎まで姿を現したという事実は、それ自体が、彼らが幕府の知る戦とはどこか様子の違う相手であることを示している。図書頭はそのことを直感的に理解していたに違いない。たとえ近代戦の知識が無くても、異国船(フェートン号)の威力は、番船などの報告から砲数などオランダの商船とは比べものにならないことはわかっていたはずである。
そして、その戦争の実態を知っている者は、出島においてドゥーフ以外にいない。だからこそ、この問いは発せられたのである。
だがそれはドゥーフにとっては厄介な問いかけだったろう。
「勝てない」とドゥーフは確信している。勝てるはずがない。だがそれを断言することは、単なる助言では済まない。それは、幕府が自らの力で国を守れる、だから国を鎖(とざ)しているという前提そのものを揺るがすことになる。
ドゥーフは西洋の戦争を知っていた。艦砲戦の現実、火力の差、指揮体系の違い。
しかし、幕府は、そのような近代戦の全体像を体系的には知らない。そして、それを知らずに済んできたのである。
ドゥーフが立たされていたのは、幕府の立場を傷つけずに答えを出すという綱渡りであった。
彼は即答を避け、「このような重大な問いについては、まず熟考したい」と述べた。

ドゥーフの思考が全力で働いた末に導かれた結論は、長い記述として商館日記(10月6日)に残されている。

彼はまず兵数と装備を数え上げる。長崎にいる兵は三百にも満たず、矢と弓、火縄銃、砲車のない加農砲に限られる。二百年来戦から遠ざかった日本人は、最初の砲撃で敗走するだろう、と断じる。その見積もりは冷徹である。
しかし彼の論理は、兵力の不足を述べるだけでは終わらない。もし敵意をもって攻撃すれば、英国側は焼き討ちに及ぶ可能性がある。そしてそのとき人々は、「オランダ人の戦争のために長崎が破滅した」と受け取るのではないか、と問う。
ここで彼が見ているのは、焼き討ちの被害そのものだけではない。攻撃が行われれば、その責めは図書頭に及び、やがてはオランダ人にも向かい得る。
その上で彼は結論する。兵が十分に到着していない以上、船は黙って出港させるべきである。もし自分が攻撃を勧め、奉行がそれに従ったなら、多くの人命が失われ、長崎は焼かれるかもしれない。その責めは、自分が背負うことになる、と。

「勝てない」という言葉は使わない。ただ、攻撃が思うように進まなかった場合に起こり得る結果を挙げていく。報復、沿岸への波及、さらなる損害。そして最終の決断とその帰結は、図書頭が負うことになる。
攻撃を頭から退けるのではなく、図書頭の立場を傷つけぬ形を取りながら、結論だけを導く。それは、事態を収めるための工夫であったろう。
こうしてドゥーフは、勝敗を論じるのではなく、攻撃が招くであろう政治的帰結を示すことで、図書頭の決意を静かに翻そうとした。彼が恐れたのは、砲戦の結果ではない。攻撃が引き起こす破局の責めが、奉行所からオランダ人へと移り替わる、その連鎖であった。ゆえに彼は「勝てない」とは言わず、ただ起こり得る結末だけを並べ、自らが攻撃を勧めた者として責めを負う事態を避けた。

しかし、この進言は事態の終結を意味しない。図書頭の決意は、ドゥーフの巧緻をもってしても、なお翻らなかった。

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