六日未明、長崎奉行所の判断は、なお定まってはいなかった。
兵力の不足はすでに明白であったが、それにもかかわらず、図書頭の思いはただ一つ、異国船への攻撃である。
図書頭にしてみれば、公義(幕府)の客人であるオランダ人を取り戻すために、自分の信念を殺してまで異国船の要求通りに水食料品を補給した。だが水船だけは一艘に留めた。翌朝の追加の補給を約束することで、異国船の足止めを図ったのである。
だが追加の補給が終われば出航してしまう。それまでに攻撃をせねばという思いに駆られていたのである。
この時の様子を、オランダ商館長ドゥーフは当日の日記に次のように記している(商館日記213p)。
「朝の四時頃秘書官は通詞目付を呼び寄せて、彼に奉行の名において、今なお神崎に投錨している船を敵意をもって攻撃し、そしてもし可能であれば焼き払わなければならぬとする奉行の決意をどう思うか、私の考えを尋ねさせた。」
ここに見えるのは、単なる仮定ではない。
図書頭はすでに、「敵意をもって攻撃し、焼き払う」という具体的行動の可否をドゥーフに問うているのである。
しかもこれは私的な相談ではない。秘書官が通詞目付を呼び寄せ、奉行の名において問わせている。すなわちこれは、奉行所の正式な意思決定過程の一部であった。
武人としての図書頭が、戦闘の実相を知っていると思われるドゥーフに判断を求めたのは、日本側にはこのような強大な武装艦に対する戦闘の経験も知識もなかったからである。
この問いに対し、ドゥーフは即答を避けた。そのような重大な問いに対しては、まず熟考したい、と述べ、そしてそのとおりにした。
熟考のうえで次のようにその思考を展開している。
「これまで当地長崎には、その数が総計でなお300人にも達しない僅かの兵士がいたのみで、あのような武装された船を征服するには決して充分耐えうる数ではない、ましてや日本の戦争のための装備は人々が悲しまねばならぬほどきわめてみじめなものであり、(私の見た限りでは) 矢と弓、火縄付き燧石銃および砲車なしの加農砲以外には何も持っていない、その上に日本人は200年来、怠惰なそして惰弱な生活をして来た、それ故戦争に不慣れで、おそらくイギリス人が仕掛ける最初の砲撃で敗走するだろう、そしてイギリス人はそれから幸先がよいと見て、しかも敵意を以て攻撃されたなら、間違いなく彼らは彼らの船かまたは武装した艀を以て長崎に来て焼き打ちをかけるだろう。」
彼の論は明快である。
兵力は不足し、装備は劣り、兵は実戦に不慣れである。したがって攻撃は成功しないばかりか、失敗すれば長崎そのものが焼かれる。
しかし、ドゥーフの思考はさらに深く、自らに絡む利害の読みへと向かう。
「もしも一度そのようなことが起こったならば、日本国民は何と言うだろうか? イギリス船は単にオランダ船をしかもオランダ人たちだけを拿捕するために来た、そして今や長崎の住民たちは、オランダ人がイギリス人と行なった戦争のために、破滅させられた!とでも言うだろう」
ここで彼は、「勝てない」というだけではなく、オランダのために日本人を戦わせ、その結果として長崎を危機にさらすことになると予測する。これは単なる軍事助言を超えて、商館長としての自己防衛でもあった。
ドゥーフがこれまで度々の危機を切り抜けてきたのは、こうした判断力と洞察力によるものである。スチュワートの出現、レザノフの来航。「外の世界」の最新情報をもたらした訪問者は、その度ドゥーフにとっては脅威だったのである。
「私は、まだ長崎には充分な数の兵士が到着していないので、私は例の船を黙って出港させるべきだと判断している、と言うのは、私がそうではなく別のことを忠告し、そして奉行が私の勧告に従った場合は、長崎の大勢の生命と衰微が私の良心をなやますことになることは必定であるからである」
この意見は極めて真っ当である。もし攻撃が行われれば、日本が勝利して異国船を撃滅しようが、あるいは敗北して長崎を焼き尽くされようが、必然的に「この異国船は何をしに日本へ来たのか?」、そして「その背景にはどのような異国の情勢変化があるのか?」と幕府が当然の疑問を持ち始めることになる。
ここにこそ、異国船への攻撃をどうにか回避させたいというドゥーフの隠れた意図があった。
こうしてドゥーフは、勝敗を論じるのではなく、攻撃がもたらすであろう禍根を示すことで、図書頭の決意を静かに翻そうとした。しかしこの進言をもってしても、図書頭の攻勢への意志は、なお翻らなかった。
この意見を受け、奉行は書面での提出を求めた。
「奉行は私の回答をきわめてよく理解し、そして根拠のあるのを知り、そしてそのことを書面にしてほしいと求めた」
書面を求めるのは、通常ならば責任の所在を明確にするためである。だが、図書頭が書面を求めたのは、官僚的な保身からではない。異国の武装艦に対する専門家の判断を、正式な記録として後世に残すためであった。
ドゥーフはこれに応じて意見書を作成するが、その際、彼は一つの配慮を加えている。
「しかし私は、その書面では、軍勢を整えられないことは述べずに、ただ私の考えだけを述べるつもりになった。何故なら、軍勢を整えられないことは、幕府では、奉行にとって良くないことと受取られるに違いないからである」
すなわち彼は、図書頭の判断を支えながら、同時にその立場を傷つけぬよう、言葉を選んで文面を整えていた。
単なる助言者ではない。ドゥーフはここで、図書頭、幕府、そしてオランダ代表としての自ら、という三者の危うい均衡を保とうとしていたのである。
こうして提出された意見書は、奉行に受け入れられた。
「奉行はこの文書にきわめて満足であった」
しかし、その満足は、納得から来るものではなかった。
「奉行はどちらかというと同船を攻撃する方を望んでいたが、しかしまた兵員の不足を見て、閣下にはどうしようもないことであるのを、胸も張り裂けるばかりに悔しがっていた」
この一節ほど、六日未明における図書頭の心境を正確に伝えるものはない。
彼は最初から攻撃を諦めていたのではない。むしろ最後まで、その道を探り続けていた。だが兵力という動かしがたい現実が、その思いを押し返した。
こうしてドゥーフは、勝敗を論じるのではなく、攻撃がもたらすであろう禍根を示すことで、図書頭の決意を静かに翻そうとした。
しかし、ドゥーフの巧緻をもってしても、図書頭の攻勢への意志は、なお翻らなかった。