フェートン号事件の全貌-1808年、長崎で何が起きたのか?   石橋正明 

1 マドラスからの出航2 現存する航海日誌3 フェートン号とフランス革命4 アメリカとフランス革命5 ワシントンの入れ歯6 ベンガル湾を東へ7 ストックデール日誌記録者8 その頃の長崎9 陰謀渦巻く出島へ10 マラッカ11 ペリュー艦長の父12 父と息子たち13 虚栄(Nabobs)の街14 マカオへ15 スチュアートの登場16 島津重豪の抜け荷17 近藤重蔵の探索18 スチュワート再び19 ペリュー艦長の正体20 航海目的の解明21 襲撃の決断22 幕府の無知23 レザノフ来たる!24 衝撃のレザノフ滞在日記25 哀惜のレザノフ26 ロシア皇帝と漂流民27 ロシアの周到な準備28 日露(魯)会談29 長崎奉行30 松平図書頭31 長崎港の警備32 「通航一覧」と「崎陽日録」33 ペリュー報告書とドゥーフ日記34 出現35 迷走36 追跡37 発見38 襲撃39 醜態40 凶報41 憤怒42 尋問43 狂乱44 両番所無人45 暗殺指令46 検使再び沖へ47 ホウセマン現る48 ドゥーフの手紙49 補給の決断50 幕閣への急報51 フリートウッド52 怯懦53 密謀54 夜明け55 侠気(おとこぎ)56 名乗る57 ホウセマン解放58 脅迫59 水船システム60 焼打ち61 深堀藩62 足留め63 恥辱64 佐賀藩の内情65 鍋島斉直66 ホウセマン再び67 参照資料68 減番
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