史料が語る狂乱の三日間――1808年、長崎を震撼させたフェートン号事件を完全再現しました
本稿の立場と方法
本稿で扱うのは、評価や論評ではない。史実にもとづき、誰が、どの立場で、どのように行動したのかを、時間の流れに沿って追っていく。史料には、それぞれの立場に置かれた人々の行動が断片的に記録されており、出来事の全体像は、単一の記録からは浮かび上がらない。
鎖国という体制に安住するなかで、日本は海外で進行していたナポレオン戦争の実態や、海軍力・戦術・兵器の急速な変化をほとんど把握していなかった。そのため、フェートン号による無法行為という事態に直面した際、現場は有効な備えを欠いたまま、徒手空拳に近い形で対応せざるを得ない状況へと追い込まれていった。
本稿が目指すのは、出来事を解釈することではない。事件を可能な限りそのまま再現することで、読者が当時の現実に立ち会い、この事件が持つ意味を自ら考えるための足場を提供することである。
事件の輪郭――三日間に何が起きたのか
1808年8月、長崎港に姿を現した一隻の異国船は、三日間にわたって港内に留まり、その間に一連の異常事態を引き起こした。本章では、その三日間に起きた出来事を、確認できる史料にもとづいて順に追っていく。
しかし、この三日間に日本側が置かれていた状況は、通常の港湾警備や外交折衝とは大きく異なっていた。奉行所は十分な兵力を欠き、異国船への即応体制も整っていなかった。限られた情報と手段のなかで、現場は判断と対応を迫られることになる。
このような条件のもとで、長崎の奉行所と現場の役人たちは、刻一刻と変化する事態に直面することになる。
異国船の意図は判然とせず、武力行使に踏み切れば外交問題となり、逡巡すれば事態はさらに悪化する可能性があった。
明確な前例も、十分な準備もないまま、判断だけが次々と現場に突きつけられていったのである。
私は長崎に生まれ、偶然からフェートン号の航海日誌が実在することを知った。その複写を入手してから、すでに四十年が経過している。
長らく、この事件は点としてしか理解できなかった。しかし近年の情報革命により、世界各地に散在していた史料や研究成果へ容易にアクセスできるようになり、初めて一つの像が立ち上がってきた。
それは、ナポレオン戦争という世界規模の動乱の只中に、長崎という港が否応なく巻き込まれていたという事実である。
本稿は、その像を、史料に基づき、可能な限り事実のままに再構成する試みである。