史料が語る狂乱の三日間――1808年、長崎を震撼させたフェートン号事件を完全再現しました
【フェートン号事件とは(一次史料から読み解く概要)】
1808年(文化5年)、英軍艦フェートン号がオランダ船を偽装して長崎港へ不法侵入した「フェートン号事件」。
通説では幕府や鍋島藩の無力さばかりが強調されがちですが、日・英・蘭の一次史料(『航海日誌』『オランダ商館日記』『通航一覧』等)を綿密に突き合わせると、ナポレオン戦争という世界動乱のなかで起きた緊迫の外交戦と、現場の生々しい判断の真相が浮かび上がります。
本稿では、四十年余りの史料調査に基づき、事件の全貌と三日間の真実を全86章で実証的に復元します。
1808年8月、長崎港に一隻の英国軍艦が現れた。
その艦はオランダ船を装い、慣例に従って接近した日本側と商館側の関係者を欺き、オランダ商館員二名を船上に引き込んで拘束した。
夜に入ると、武装した小艇が港内へ侵入し、沿岸を自由に遊弋した。港内の警備体制はこれに対応できず、長崎の市中と奉行所は激しい混乱に陥った。
英国軍艦は圧倒的な火力を背景に薪水・食料の供給を要求し、日本側はこれに応じざるを得なかった。
三日後、艦は何ひとつ損害を受けることなく長崎を去った。
事態の収拾後、長崎奉行松平図書頭康英は責任を負って切腹し、関係各藩にも多数の処罰者が出た。
この一連の出来事が、フェートン号事件である。
本稿の立場と方法
本稿で扱うのは、評価や論評ではない。史実にもとづき、誰が、どの立場で、どのように行動したのかを、時間の流れに沿って追っていく。史料には、それぞれの立場に置かれた人々の行動が断片的に記録されており、出来事の全体像は、単一の記録からは浮かび上がらない。
鎖国という体制に安住するなかで、日本は海外で進行していたナポレオン戦争の実態や、海軍力・戦術・兵器の急速な変化をほとんど把握していなかった。そのため、フェートン号による無法行為に直面した現場は、有効な備えを欠いたまま、徒手空拳に近い形で対応を迫られた。
本稿が目指すのは、出来事を解釈することではない。事件を可能な限りそのまま再現し、読者が当時の現実に立ち会い、この事件が持つ意味を自ら考えるための足場を提供することである。
事件の輪郭――三日間に何が起きたのか
この三日間、長崎港内に留まった異国船は、次々と異常事態を引き起こした。本章では、その三日間の出来事を、確認できる史料にもとづいて順に追う。
このとき日本側が置かれていた状況は、通常の港湾警備や外交折衝とは大きく異なっていた。奉行所は十分な兵力を欠き、異国船への即応体制も整っていなかった。限られた情報と手段のなかで、現場は判断と対応を迫られた。
異国船の意図は判然としない。武力行使に踏み切れば外交問題となり、逡巡すれば事態はさらに悪化しかねない。明確な前例も十分な準備もないまま、判断だけが刻一刻と現場に突きつけられていった。
私は長崎に生まれ、偶然からフェートン号の航海日誌が現存することを知った。その複写を入手してから、すでに四十年が経過した。
長らく、この事件は点としてしか理解できなかった。しかし近年の情報革命により、世界各地に散在していた史料や研究成果へ容易にアクセスできるようになり、初めて一つの像が立ち上がってきた。
その像は、ナポレオン戦争の動乱が長崎に及んだという、誰もが言及する事実にとどまらない。あの三日間に何が起こり、人々がそれぞれの立場でどのように行動したのか。そこに現れた勇気と怯懦を、史料から余すことなく綿密に掘り起こし、厳密に再現すること。本稿はその試みである。